ひめはは日記 3月
3月13日 |
長崎ランタンフェスティバルにて 琉球國祭り太鼓です。 さみしいことがあったひめ家でしたが、元気をもらいました。 |
3月13日 |
先日、実家の祖母が90歳で他界しました。 私が嫁に行くまで魚の身をむしってくれた祖母でした。 おかげで私は、今でも骨付き魚を上手に食べることができません(^_^;) 大正生まれの祖母は多くを語らないおとなしい人でしたが、90年という人生はどんな人生だったのでしょう。時代の大きな流れをいくつも経験し、そのたびに地に足をしっかりつけ生き抜いてきたそんな日本の女性のひとりだったのだと今更ながら思います。 祖母にはひ孫が4人います。小中高の3人の甥っ子とねぇね。 告別式の時、その4人のひ孫たちが人目もはばからず見せた涙・・・。 彼らは祖母の人生の集大成に大きなやすらぎをくれたことでしょう。 晩年は寝たきりで看護した母は大変だったけれど、それでも娘として最期まで看取ったその思いは、祖母をおだやかに見送ることができたと思います。 家族が天寿を全うするということは、その家族にとって一番幸せなことかもしれません。 ご心配をおかけしました皆様、ほんとうにありがとうございました。 ばあちゃん、じいちゃんには逢えた? |
3月15日 | |
昨日は中学校の卒業式でした。 それぞれの道へ旅立ちの日でした。おめでとう〜。 よくひめをかわいがってくれました。ありがとう〜。 前の日に卒業生みんなそろって、家までお別れのあいさつに来てくれました。 この素敵な故郷を誇りにしてねとみんなに話ながら、私はなぜかこみ上げてくるものがあり・・・必死でこらえましたが・・・(^^;) 別れというものはさみしいものです。こちらに来てからは特に。いつか私も送られる側になるのだと思うと・・・(T_T)ここにある全てのものが、人が愛おしくなってきます。 卒業式の後、ひめも在校生と一緒にお見送り。 きょうが別れの日だとわかっているかのように、ひめはひとりひとりに寄り添っていき、しっかりお別れができました。 |
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3月18日 |
上見坂公園にて きょうはとっても空気の冷たい日でした。ここは峠だけあって、ますます冷たく・・・。でもいい天気でした。 公園の奥にはひっそりと砲座跡、兵舎跡が・・・。ほんとにここは防人の島なのだなぁ。 ちなみに対馬に砲台跡は30近くあるそうです。 |
3月22日 |
ちちの異動内示の日、海の向こうの友人からのメール。 「どうやった?」 返:「異動なかったよ〜よかったよ〜(^^)/」 「・・・あたしはまたさみしいよ〜・・(T_T)」 帰ってくるのを待ってくれてる人がいる。改めて知った、ちょっとうれしいせつない内示の日でした。 |
3月24日 |
自分の年齢を言ったら、“あら、意外に若い”といわれ、ちちと親子といわれ、お孫さんは・・・といわれ、定年で・・?とまでも言われ・・・・こちらに来てから私は歳よりとても老けて見られるようです(-_-) やはり努力は必要か・・・・・ということで、海の向こうで髪を切り、パーマをかけました。が、不評でした。おばちゃんパーマといわれ、前の方が若かったと・・・。落ち込んでいた私に唯一我が母だけが、“あら、かわいい”と言ってくれました。おかげでちょっとはいい気分でこっちに帰ることができました。さすが、我が母、このご恩は一生わすれません(T_T) でも、こっちでは誰も何のコメントもありませんでした・・・う〜ん・・(^^;) |
3月26日 |
昨日は仲良くしてもらってる小茂田のH邸の建前(屋根替え)のお手伝いへ。 近所の人や親戚が集まって、男性は作業、女性はまかないごちそう作りです。 屋根の材質やごちそうの中身は変わっても、ずっと昔からある風景なのでしょうね。 「ゆいまーる」〜忘れてはいけないものやはりここにはあるなあ。 ちちはいつの間にか屋根の上へ上り、ちょうど帰ってきていたねぇねも一緒に、ひめ家一同楽しい初体験でした。・・・ひめの出番はなかったケド。 |